維摩居士

維摩居士のこと
御釈迦様の御在世に、維摩居士と言うのがお見舞いに出てきます。これはビシャリ国でありまして、そこで維摩居士が病気になりまして、お釈迦様のお弟子様が行きます。そうしますと、どうも維摩居士からみんな叱られます。迦葉・舎利弗・目蓮・叱られます。みんなその時、迦葉をはじめとして。十大弟子がみんな呵責を受けますが、その時に小乗経の悟り、阿羅漢様の悟り丁度蛍火とお陽様との違いのようだ、といって譬えられたのがあります。
蛍火くらい。個人道徳の完成を、個人の救済を主に説かれました。これが小乗経、ヒナヤナであります。維摩居士は大乗経の菩薩でありますから、不思議な神通を現じます。その中で、小さい小屋みたいな所で維摩居士は寝ておったんですが、そこへお弟子さんがお見舞いに行って心配しますのは、こんな狭い小屋に大勢のお釈迦様のお弟子方がお見舞いに来ることになって、この小屋がどこにいれば良いだらうか。
文殊師利菩薩が見舞いに行きます。叱られないんですけども、維摩居士の病気見舞いに行きます。
そうして長い間お話をされておられました。時が来ましてお腹が空きました。さてこれはみんなご飯はどういうふうになるだろうかと心配しました。そうすると、また叱られる。「お前何考えているか、ご飯は香積世界という遠いお浄土から仏様が運んで下さる」そんなことは個人の世界では判りません。けれども運んでいただいたのでみんな御供養に預かりました。
けどもこの維摩居士のお話を今日我々現実のこの場で覗めますと、そんなこともお釈迦様の時代にあったかなと思います。小さいこの山の小屋でありますけれど、そこにやたらに大勢やって参ります。「どこへ泊めるか」とみんなランカの人々が心配します。「ここへ泊める」「入るだろうか」「余った者は庭天幕を張って泊める」余らない、丁度いい塩梅になる。「食べ物はどうしますか」という。
「水を飲ませる」つもりでありましたけれども、香積世界から運んでくれる。けれどそんなこと宛にした訳ではありませんでした。ただ何でも3日ばかりこの山に泊めたいとばかり考えておりましたけれども都合よく運んで行きます。
で来年は賑やかに日本から参られますけれども、今度は、皆様方がお客様方を優遇してあげねばいけません。みんなは小屋もあれば台所や食堂、それから浴室やらそんな所に入って、お客様をここに泊めてあげる。そうすると喜ぶかもしれない。そしておご馳走は、ランカのお料理。ここのお料理もランカのお料理のように相当辛いんですけれども、少しその日本の人は用心を心して下さい。咳き込んでしまう。私なども、みんな少し咳き込むかもしれません。でも病気にはなりませんから、水でも飲んで口の中を冷やしていけばよい。
(昭和52年10月26日)


維摩居士

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