お題目を唱えることが本門の三大秘法

お題目を唱えることが本門の三大秘法
この三大秘法のお題目を軽く考える。これよりも何か深いもの、良いものがあるように考える。そこが日蓮大聖人様のお心からはずれた脱落者であります。何も出来ません。末法を救う教えではない。
日本山が何かできますのは、この「南無妙法蓮華経」、この一言を徹底して唱える、必ず仏事が起こります。私がその実験を体得した法門であります。
三大秘法「南無妙法蓮華経」は本尊であります。「南無妙法蓮華経」を唱えれば言葉であります。言葉、そのものが「本尊」。文字に表せる本尊であります。
その唱える場所、これが「戒壇」であります。それは法華経のお題目を広めるご修行する場所。そこがみな「本門の戒壇」であります。
建築物は後から追いついてきます。お題目の中に、本尊があり、戒壇があります。「三大秘法」と申します。
三つ分けて形を変えております。南無妙法蓮華経とばかり唱える。これが本門の三大秘法の総括であります。

「今、日蓮が弘通する法門は、狭きようなれども甚だ深し」(四条金吾殿御返事)
それは法華経本門、寿量品の三大秘法、この中に納めるから「南無妙法蓮華経」と唱えれば、本尊が現れ、その中に戒壇がある。南無妙法蓮華経を離れて本尊もなければ戒壇もない。

この大切は南無妙法蓮華経の甚深秘密の宝蔵を軽く考える。それが日蓮大聖人様のお弟子の中にすら間違える人いる。重い一番大切な法。
末法を救うものは、われわれが唱える「南無妙法蓮華経」の一言であります。この一言を末法に唱え伝える者が、地涌の菩薩であり、この人が世界を救う者であります。
「南無妙法蓮華経」と唱える人、それを考え違いして浅いことのように考える。「今、日蓮が弘通する法門は、狭きようなれども甚だ深し」
これを信じねばなりません。それを信じる事が出来ないお弟子は、日本山から脱落していくお弟子であります。(1979年9月28日)

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