桃尾の滝の霊夢 日本山の出発

【桃尾の滝の霊夢】
私が日本山を開いたことになりますが、非常に苦労しました。勉強をして仏法の事を習えば、何か解るかと思いましたけども、少し覚えることもありますが、我が一生の方針として間に合うものはありません。
三十三歳で立たねばなりませんけど、その以前に、出家として、御祖師様のお弟子として生きて行く方針が立ちませんので、初めて、あちらこちらで滝に打たれたり、御断食をしたり、山に登ったり、さまざまなことをしました。
大和の国の天理教の上の方に、桃尾の滝という、昔、奈良の高僧が道場を建てた滝壷があります。秋の暮でありましたが、さっそく三十三歳を迎えねばならん時、御断食をしてその滝にかかり、一心に御祈念いたしました。
そこで初めて不思議な霊夢を感じました。変なことのように聞こえますけれども、夢で上行菩薩に会いました。
上行菩薩が、背中に子供を背負って私の所に歩いて来ます。それで私が「あなたはどなたですか」と尋ねました。「上行菩薩です」。「背中の子供は誰ですか」と言う。「お釈迦様です」。御釈迦様を背負って団扇太鼓を撃って歩いております。それっきりであります。私、真剣にこの夢を霊夢として受け取りました。
断食明けに、奈良のご信者が迎に来てくれ、伴われてその家に行って、さっそく「私の決心がつきました。これから歩きまわります」。笈摺(おいずる)と申して、桐で長方形の箱を作りまして、それに御妙判とか、少し着替えも入れました。宿のない時、晩にどこかで休まねばなりません。一枚の毛布を半分に切りまして、笈摺の上に乗せました。こうもり傘一本、脇に立てるようにしました。
背中に背負ってまわります笈摺ができますと、表にお題目を認めまして、私の名前も認めます。それから、左右の両脇に「勧持品」の「聚楽・城邑に、其れ法を求むる者有らば、我皆其の所に到って、仏の所属の法を説かん」という一偈の経文を認めました。
これが、日本山の道を踏み開いた私の初めての出で立ちであります。
「聚楽・城邑」に、町でも村でも「法を求むる者」があった時、その人を訪ねて、仏様から付属されたお題目を、広く一切世間の人に説く誓願を、今日まで一生修行してまいりました。「勧持品」の偈の経文が、日本山を創り出しました。
皆様方も、その御弟子であります。今日、日本山が開けておりますのは、歩く者ができたんです。歩き廻るんです。

 

(昭和五十八年九月十八日 オーストリア国ウィーン道場)

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