スリランカは、世界の中でも最も立派な仏教国であります。そして、古い仏教の遺跡も保存されてあるとともに、新しい仏教の信仰が続々と指導されております。
スリランカの中でも、教主釈迦牟尼世尊が、自らこの地においでまして、「大乗入楞伽経」をお説き遊ばされた。それがスリパーダのお山であります。スリパーダのお山は、お釈迦様の御身足跡が残っているということで、全国の人々は仏教信者のみならず、みんなこのお身足跡を拝みに参詣致します。そのスリパーダの神聖なるお山に、外国籍の私が発願致しまして、御仏舎利塔を建てたいと申しましたら、このランカの関係の御出家の人々を始めとして、みんな、ことごとく、協力して賛成していただきました。ここに御仏舎利塔を建てることが出来るようになりました。
私は四十余年来インドに布教しておりますが、インドのビハール州王舎城霊鷲山に御仏舎利塔を建てることができました。けれどもそれが、ヒンズー教の嫉みを受けて、インド人の自尊心を汚すと言って、ついに日本山の布教は妨害されることになりました。
ネパールのルンビニ苑は、お釈迦様のお誕生地ですが、ビルマのウ・タントという人が、先年、国連の事務総長をしておる時代に、あそこが荒廃しておりますから、その復興したいと思いまして、先年、ルンビニ苑の復興を計画しましたが、ルンビニ苑から三マイル四方は、建物を建ててはいけないということにになりました。それでは仕方がないから、三マイル外に建てかけましたが、それも禁止されました。引き続いてポカラという観光地で、その土地の人が宝塔を建てたいというので、これに協力しました。
その宝塔を建てた土地の人は、一八ヶ月間も牢に入れられました。日本山の出家は国外に退却させられました。また、建てた宝塔は、知事が警察を使って、ことごとく壊してしまいました。
そんな中で、最後ランカに参りましたが、このランカはお役所をはじめ仏教徒の指導者方がこぞって、この仏舎利塔建立に協力して頂きました。それに従って、一般の民家もみんな協力して頂きました。そのために、思いがけなく、早く、この仏事が成功しておるようであります。これは日本の人々のために、仏教国というものが、仏教民衆というものがいかに親切にしてしてくれるかを知りまして、今度は大挙して仏舎利塔の落慶供養に参詣する準備をすすめています。
昭和五二年九月二一日 コロンボ空港