末法悪世に於ける法華経弘通の明鏡、日蓮大聖人折伏逆化の化導の本拠は、妙法蓮華経勧持品二十行の偈と云えり。
其の勧持品に曰く
「唯、願わくは慮し給うべからず、仏の滅度の後、恐怖悪世の中に於いて、我ら広く等当に広く説くべし、諸の無智の人の悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者有らん。---------中略ー
ーーーーーーー仏の告勅を念うが故に、皆応に是の事を忍ぶべし」
看よ、三類の強敵の為す所、言う所、皆悉く不正不義ならざるは無い、而もかくの如きいかなる不正不義にたいしても、法華経弘通の誓願として皆応に之を忍んで受けるとは、暴力を採用する事でもなく、戦争を肯定する事でも無く、抵抗を許すことでも無く、非平和の論議をする事でもない。
飽く迄、暴力を否定したる明文である。
勧持品二十行の偈の文に三類の強敵の所為を挙げ来って、六ヶ所に及ぶ迄いかなる時にも但だ忍の一字を以って勧持してある。忍ぶより外に如何なる手段も許されて無い、三類の強敵に対して許されたる手段は、但だ忍の一字の重々無尽の修行である。高祖日蓮大聖人の折伏逆化の化導は親ら不軽菩薩の跡を踏むと仰せられた。過去威音王如来の滅後像末の世に不軽菩薩が出世して、而強毒之の化導を行うた、と云う。不軽菩薩の而強毒之の折伏と言えば、戦争主義、暴力主義、抵抗主義、非平和主義かの如く聞うるけれども、其の所行は、但行礼拝、賛嘆是言である。
不軽菩薩と正反対に杖木瓦石を以って暴力を振るい打擲罵詈して是無智比丘と、そしりし者は、彼の増上慢の比丘、比丘尼等であった。
釈尊の末法として、いかなれば不軽菩薩の跡を踏むべき者が、悪口罵詈し杖木瓦石を採って打擲し武器を用いて戦争し殺人する事の許さるべき。若し之を許さば増上慢の比丘、比丘尼の所行所作と何等異なる処は無い。
不軽菩薩の所行とは、正反対になるではないか。
【毒鼓】 遣使還告