至極の大乗

至極の大乗

大乗、乗り物と書いてあります。皆様方も、至極の大乗=御題目に乗り合わせられました。御題目さえ信じて唱えて居れば、御題目の行く方角へ導かれますが、こちらの了見で「御題目を唱えて金儲けせねばいかん」こうなりますと、御題目と本人の願いとが合いません。そこで今度は信心も何も「もうこんな事はせんがいい」と云う事になってしまう。

私は幸いにして御題目を唱える事を覚えました。勉強して本も読みましたんですが、皆忘れました。本にかじりついておりますか。それとも御題目だけを唱えておくか、此処が分かれ道でありました。本を仰山読んで見ても、海外の布教は出来ません。海外の布教となると。御題目だけ唱える他、仕方がない。

読んだ本を皆ひっぽかして、太鼓一丁持って海外に布教する様になりました。しかし其れが馬鹿げた事でなくて、御題目のままに法運が開けました。

御題目を唱えて御題目のままに行きますと、有り難い仏法の功徳が現れて来ます。御題目を自分の道具に使おうとしますと、そこから御題目様と自分との摩擦が起こりまして、本当の有り難い所へ行き着きません。御題目様を信じて、乗り物に乗ったんですから、もう運転手が舵を取って行く方向に任せねば仕方がない。其れを信じきらないで、此れは危ないの、何処へ行くんだろう、こちらへ行ってもらいたい。と云う様な事を矢鱈に注文しますと、其の乗り物は動けなくなって終います。

御題目様の功徳を信ずるならば、御題目を唱え唱えて、御題目の導くままに導かれねばならない。困難が来れば、御題目を唱えて困難に出会う。安楽が来れば、御題目を唱えて安楽に暮らす。それより他、仕方がない。御題目様だけ唱える。自分一人なら兎も角、出家となりますと皆を導かねばならない。皆をどう導くか。御題目を唱える様に導かねばならない。それには何もかも、一同に他事を捨てて、南無妙法蓮華経と唱うる。他事を捨てねばなりません。他事とは、色々なこちらの願い事であります。そんな事ばかり言うてると。御題目の功徳が現れません。

(昭和五十二年五月十一日 熱海)

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