慈悲・不殺生戎

慈悲・不殺生戎

慈悲・不殺生戎の功徳は、彼の自己防衛などと云うが如き無道徳の暴力行為を遥かに超越して、一切衆生の生命を保護し、一切衆生に無畏を施す最高の道徳であります。又怨敵を根本的に降伏する大神通力であります。我が慈悲心・不殺生戎も、他の瞋恚熾盛(しんにしじょう)の者・凶暴残忍の者に対しては、直ちに是を改悔転心せしむる事は不可能でありましょう。其時は所以なく我が身命を喪失する恐れが有ります。是に於いて我が身命を惜しんで暴力を採用すべきか、或いは我が身命を捨てて不殺生戎を護持すべきか、其の決心判断は、不殺生戎に対する我が信念誓願の厚薄に帰するものであります。

菩提薩陀の三僧祇百劫に亘る菩薩行の本生譚は、何れも皆、惜しむに余り有る其の尊き身肉手足生命を放棄する事を訓えられてあります。尸毘王は鳩の生命を救わんが為に我が身肉を棄てました。尸毘王の放棄せし身肉手足は、やがて今番釈迦牟尼如来の金剛不壊の妙色身となりました。

此の如き菩薩の本生譚が地上の人間社会に実践躬行(きゅうこう)さるる時、則ち三界は皆仏国土となります。此の如き菩薩の本生譚が狂言綺語視せられ、仏教の四部の衆の間に空しく弄される時、則ち三帰五戒は煩瑣(はんさ)なる形式的戒律となって人間生活に無用の束縛となり、現代文明の自由奔放なる人間の中には、当然隠沒すべき運命を辿るものであります。朝昏(ちょうこん)いかに三帰五戒を念誦するとも、人間の生命を保護する事能わざる仏教は、既に化石したる死骸に過ぎません。

昭和三十三年七月十五日

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