陀羅尼品「乃至夢中 亦復莫悩」
只今拝みました陀羅尼品と申しますのは、法華経の中で二聖二天十羅刹女と申しますこの御文の御人方が後の世に法華経を持つ人を守護すると言う誓願をお釈迦様の前で述べられました。その誓願の言葉であります。それを陀羅尼呪と申します。で、法華経は支那の言葉に漢語に翻訳されました。皆、「自我得仏来」も漢語でありますが、漢語に法華経全部を翻訳されました。けれどもこの陀羅尼呪だけは翻訳されませんで、霊山会上で二聖二天十羅刹女が説いた言葉の音のまま伝わって来ました。それでこれは漢訳しません。漢訳すれば多少の意味がありましょうけど、元来これは漢訳すべきものでない。漢訳されておりません。霊山会上の発音がそのまま今日に伝わっております。
それでこの陀羅尼呪を要文抄の中に取り入れましたのは、最後の言葉に「乃至夢中 亦復莫悩」と言う言葉があります。所詮護るけれども夢の中でも悩ます事は許されないという。夢の中で襲われた経験のある人があるかもしれませんが、夢の中で襲われる事があります。怖い夢を見ます。その悪い夢、怖い夢を見せない様にする。怖い夢をみせるのも、様々な鬼神達やら羅刹。目には見えませんけれど、そんな存在がありまして人を悩ませます。それから夢の中でも法華経を持つ者を悩ましてはいけないとそう言う言葉がありますが、十羅刹女がお釈迦様にこの陀羅尼呪を説いて、説いた趣意を説明しております。で私達は夢を見ます。これはどうにも良い夢を見ようと思うても見られるものでない、その中に悪い夢を見る事が誠に困ったものであります。けれどもこれも仕方がない。夢というものは自分一人で見る様でありますけれども、そうでもない。近くこの頃、王舎城に内地から御骨を納めに参った大阪朝日新聞の記者があります。そのお父様が比叡山の大僧正であります。この御人が房州清澄の仏舎利塔の落慶法要の時に比叡山を代表して参詣なさいました。それ以来日本山の宝塔建立を随喜されまして、ネパールやインドや各地にお参りなさいました。その時に何時も朝日新聞の記者をしておりますお子達が随身して居りました。そのお父様と言うのが亡くなります時に、私の御骨を霊鷲山に収めて下さいと言って遺言をしました。それで一周忌に成る前に納めに来られたのであります。ところが不思議な事にその御臨終の御遷化の朝ですね。御信者の何人かの特別な御信者が夢を見ました。同じ様な夢をみました。その比叡山の大僧正が旅姿をしました。そして、夢の中に現れました。私もこれからインドの霊鷲山に参って来ます。それは一人でなくて何人かの御信者が同じ夢を見たのです。そうなりますと、夢を見せる別の存在があったのです。これが幸いにそんな御上人様が御信者に夢を見せたのであります。別れの挨拶をなさったのであります。この事を考えますと夢もこちらが見たいから見るのでもなければ勝手放題にでたらめに見るのでもない。時あって外から夢を見せる。夢に現れてくる世界があります。その夢の中でも法華経の行者を悩ましてはいけないと、そういう言葉があります。私等が法華経を持つと言う事の力強さを、お経文の力を信ずる時、現れて来ます。
で、夢でも猶守られて居る。親が子供が眠ったと言っても側でやっぱり気を使って守っております。あのように我々が眠った後までも悪魔と言う言葉で言えば悪魔が悩ます事を許さないで守って居る、そう云うことなんです。この法華経の文を信じて床に着きます。安らかな夢を見ねばなりません。それから今日はこのランカの暦で満月の宵だと申します。けれども不幸にしてお月様が出ては居りましょうが雲が遮って拝む事ができません。明日が日本の暦で満月であります。明日は拝めるかも知れない。私が一代の中で満月の日をしばしば迎えて拝みました、拝みましたけれども、あの印度へ渡りまして、カルカッタの道場がほぼ完成しました。あらまち建ちましたので満月の月見をヒマラヤ、雪山でしたいと思いました。雪山のダージリンに参りました。仏教のお寺がありますからそこに泊めて貰って一人でお月様を拝める所まで少々山を登りました。丁度お月様を拝む事が出来ました。これはどうも広大な銀世界にお月様が一つ照らし渡りました。この姿が一代の中で満月の最も記念の一夜となりました。皆様方も良い満月を見て頂きたい。
(昭和五十二年九月二十六日 仏足山)