元来困難の鍛錬をすべき仏者の行脚の中に但だ偏に身体の安楽を求むることなれば其の矛盾の為に到底頼もしからぬことになりぬべく候、金銭本位の旅客が減少したる後には、佛蹟は零落するより外に其の往くべき道はなかるべく候、苟も仏法復興の志有らん者は先ず行脚の生活を楽しまざるべからず、行脚の生活を楽しむ事を得ば、十方世界に遊化自在を得べく候、御草庵の経営も行脚の生活の一日にして、佛蹟の復興も、亦、行脚の生活の一日にて候、行住ともに唯行脚の生活となり了らば生涯雲水の軽きが如く、漸く出世間の趣を得るべく候。
昭和八年正月九日 コロンボ