暴力の禍

【大道】 昭和二十一年
自己の生活を最も幸福ならしめんが為に、或は一階級の者の生活を最も幸福ならしめんが為にと云って暴力革命を肯定し、戦闘、殺人を平然として家業とした時代が有った。
広くもない、日本国の中で、多くも無い一民族の中で、同文,同語、同一宗教、同一道徳の中に生活しながら、六十余州に三百も四百もの殺人的団体が組織され、相互に戦闘、殺人破壊に明け暮れた、是を戦国時代と呼ぶ。此の戦闘に暫く安全を与えた時代を封建時代と呼ぶ。
此の如き等の時代に在っては平和に生産に従事する者は、本質的に軽視され略奪され所以なく殺害された。平和な人民は有るは有っても、一部武力を持てる戦闘宗、迷信者の為に奴隷的存在とせられた。大戦闘家が大将軍、中戦闘家が大小名諸侯、小戦闘家が一般武士。非戦闘家、平和の人民は農工商一般庶民であった。
戦国時代、封建時代には、殺人煽動、戦闘礼讃の新宗道徳を必要とした。従来の仏教を止揚し、儒教に準処して武士道と称する人生観を作った。武士は英雄的行動を第一とし、人類殺害のみならず血肉同胞、父子夫婦さえも互いに闘争し殺害する事を肯定した。
鎌倉幕府時代の悲劇は皆、此の武士道の禍するところであった。共産党も所謂「神無き宗教」「唯物論の精神性」を宣伝して、一切の宗教、道徳を排撃し批判し撲滅せん事を企つると共に、党内に於いては裏切り者と称して、私刑を行い、反主義者とは到る所に於いて格闘する。戦国時代の武士の悪業も格氏族の分裂対立が深刻になり憎悪、怨恨、憤慨、軽蔑が増長し、倶に天を戴くこと能はざるの想いを生じ、一家一門の暴力を以って大衆を組織化し訓練したるものである。
ーーーーーーーーーーーーー中略ーーーーーーーーーーーー
暴力革命の如きは、過去に於いて犯せし人類生活の害悪の流布であった。共産主義者が戦闘、殺人を合理化する事に於いては正に人類発展の上に過去に犯した過失の再犯に外ならない。
世界は今や国境を越えて合同せんとし始動し始め、人類は種族の差別を廃して、平等に生活せん事を要求している。この際、尤も妨碍となるものは、暴力的社会変革を執着する思想である。即ち是れ戦闘的唯物論、共産主義である。

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