中国開教(2)

倉野行陣上人へ  昭和八年十二月三十日 印度にて

近来新聞紙の記事に台湾の対岸福建省独立宣言致し候由見え候。厦門の福州の辺を一度巡錫して日本山の基礎を創立せらるべく候、此の処が将来風雲激変の兆しありげにみえ候。
香港には西本願寺派の寺院が一軒ありて在留邦人を誑かし一島一寺の規約を設けて他宗の布教を妨害する由承り申し候。
回向商売の狗犬の僧等のたくらみなれば、我等には何等のかかわりも無之候。かって上海に大谷光瑞師などが上海に寺院設立制限規約を作り日蓮宗・真言宗などの売僧を語らい彼地駐在の総領事館に申告して以来他の日本仏法の寺院創立も市中の托鉢修行も総領事館の権力を濫用して禁制致し居り候いしが拙子巌然として上海の道場を創立致し候。香港厦門等にて在留邦人間にもしも右の如き寝言を云い張らば、先ず第一に該地の領事館、第二に本願寺の魔障を折伏なさるべく候。
上海領事館もその遺恨にてもなかるべけれども今日に到るまで一味の悪賊の外交官と連絡して種々の横難を偽造到し居り候、彼等が非法をいかに巡らし候とも天に唾する程の結果に罷りなり候。

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