中国開教(1)

中国開教 昭和八年十二月二十日

日本山の西天開教は、乃至一人にて沢山にて候、既に二人三人と増員することが結局不安になり候、内地満州(中国東北部)の道場を見る時に安楽の所ほど多勢生活の所ほど悪邪の心に入り替わり候、彼等昨終に省みて多からん事、悲しかるべく候、中国も将来化導すべき地にて候、インドの仏法とは申し乍ら日本に伝通せしめしものは中国の仏法にて候いき、今日西天に中国人として参詣巡錫するものの稀なる事、日本よりは更に少なく候、仏化衰微の様を卜すべきにて候、道順より云えば満州についで中国の化導こそ大切にて候え。

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