南無妙法蓮華経如来

南無妙法蓮華経如来

此の娑婆世界に生まれ法華経を説かれた応身仏のお釈迦様も、法華経を証明した多宝仏も両脇に置きまして、宝塔の真ん中に南無妙法蓮華経が現して有ります。

南無妙法蓮華経を法と見るから、法本尊になりますが、此れを人と見ます。此れが久遠実成のお釈迦様で、釈迦牟尼仏ともなり、多宝仏とも十方分身の仏ともなります。其の根本、中心の仏様を妙法蓮華経と云うので、南無妙法蓮華経と云う名において呼びます。此れは法ではありません。法は誰かが説いた物か、昔から有る物か、そんなものであります。そうでないんです。仏様の衆生を救う働きの源を、南無妙法蓮華経と申します。其の依り所は、妙法蓮華経如来寿量品。妙法蓮華経如来としますと、人本尊になります。妙法蓮華経如来神力品。此の二つが妙法蓮華経如来であります。

天台が「妙法蓮華経の如来と云うのは、十方の仏様も、昔の仏様も、三世の仏様も、一切を合わせて妙法蓮華経如来と云う」と釈しました。

それを御祖師様が御義口伝に引かれてあります。一切の如来・迹仏・何の仏様も、此の如来の中に含めます。それが南無妙法蓮華経如来であります。其れを此処に、釈迦・多宝の仏様、十方分身の仏様を脇立ちにしまして、妙法蓮華経と表現します。

此れは、人と法を分けませんけれども、分けない上で、南無妙法蓮華経如来と、人の方の表現を用います。依り所は、法華経が一番正確でありますけど、涅槃経の中にも再々「如来とは法なり」と云う言葉が見えております。

人間界に生を受けたから、人になります。此れは衆生済度の為のお姿であります。其の衆生済度をする根本を本仏と申します。南無妙法蓮華経如来と云う仏様として拝むのであります。人と形をとりますと、どうしても此れに比べる色々な物が出ます。寿量品の仏様も、釈迦牟尼仏と現れたのは、徳薄垢重―功徳の無い人々の為に暫くこう云う姿を示したと有ります。其の南無妙法蓮華経如来。其の南無妙法蓮華経如来は、簡単で分かりませんから。自ら「釈迦牟尼仏が其れだ」と仰せられました。此れは、応身の顕本と申す法門であります。此の人間界に生まれた仏様で、其のままが本仏の御姿であります。

(昭和四十九年九月二十二日宇都宮)

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