【立正安国論講讃案内】 大正十年二月十六日
立正安国論と申すは征当第七百年前にご誕生遊ばされました、日蓮大聖人の御論策であります。この立正安国論を讃題して今私が講演致します。是非とも参詣しなさい。是非とも聴聞しなさい。その上で信仰しなさい。それとも冷評しなさい。悪口、罵辱、好きなようにしなさい。順逆いずれにしても、御利益は受けねばなりません。暇がないから参詣が出来ぬというのですか。馬鹿な横着をつきなさるな。現に飯を食う暇があり、現に薬を呑む暇があり、ましてお役所に出たり工場に出たり、はなはだしきは風呂に入ったり、髪を撫でたりする暇があるではありませぬか。髪は一年や二年撫でなくても、飯は一日に一食づつくらいは食わなくとも、あなたも死なねば、日本国も亡びはしない。立正安国論は今度聴聞しなければあなたも滅び、日本国も亡ばねばならん。
飯は是非に食わねばならぬこと、参詣はせねばせぬでもよいことのように愚案しているのでしょう。このような軽重を転倒した邪見に欺かれて、あなたは涜職事件をやったのでしょう。嘘もつけば殺人もやったのでしょう。兵児帯往生を遂げるのでしょう。大和民族を辱むるのでしょう。こんな了簡を懐く者は腐った豚よりも下劣の人間である。
一人や二人が、こんな畜生のような官公吏員になった間は未だ始末がつくけれども、役人という役人、教員という教員、乃至一切世間の者が、みなことごとくこんな畜生になったらどうなるか。既にやった者もあり、今やっておる者もある、これからやって恥じを曝すべき者もある。恥じを曝す時間に前後の隔たりは出来ても、みな兵児帯往生を遂げねばならぬ了簡を誇張し、実行しておることは一揆である。暇のある者がまさに参詣し、聴聞すべき法門ではない。人間の皮を被った動物は、必ず信仰し、修行せねばならぬ法門である。
死んだ者に回向する利益ではない、生きておる者を済度する利益である。斯様な軽重を転倒した邪見に欺かれて、日本国は滅亡せぬばならぬ。愚にもつかぬ経済論や、思想問題やのという精神病に、いま罹り、まさに罹らんとしている。
罹れば日本国家は瞬く間に滅ぶるということが幸いに憂国達識の者の眼に映って来たので、ぼつぼつびくびくし出した。しかし食うて世を渡る方より外に、何の習った覚えもない当世日本国の人間は、いやでも上も下もこの狂犬的精神病に罹らねば相済まぬ素質となっておる。
思想問題と名ばかり飾ったけれども、根本は食いたいという欲望に、竪からでも横からでも穴をあけて無理に食うという邪見の枝葉をつけ、掠奪でも、惨殺でも、出鱈目な花火を散らすより外、何にもならぬ騒動である。大学は増設してもしなくても、議会は召集してもしなくても、それで必ずしも日本国は亡びるというわけではない。立正安国論をば聴聞し、信受せねば、必ずや日本国は亡びてしまう。現在大日本国の危険災害なる思想界の傾向にのぞみて、いわゆる立正安国論の所説の安国の意義力量の確実なる、広大なることに驚かねばならぬ、信じねばならぬであろう。
他日もしや日本国が滅亡した暁には、誰も始めて立正安国論の講讃に、随喜せず、参詣せず、聴聞しなかった厳罰であると思い知るであろう。それが痛ましいから、ここに大音声をあげて、立正安国論を講讃して、まずあなたにも、日本国にも、ご案内を致すのであります。
一、 講本 立正安国論
二、 講師 藤井行勝
三、 制期 大正十年二月十六日開講~大正十年三月一五日講了
四、 時間 正行―唱題修行―昼夜
助行―正課 立正安国論 午前六時ヨリ八時迄
助課 日蓮大聖人御遺文素読 午後一時ヨリ三時迄
五、 道場 大連市外王家屯 日本山妙法寺大講堂
「立正安国論講讃趣旨」(大正十年二月十六日)所収