頭陀苦行の法

【十二頭陀】
頭陀苦行の法、世間の法と異なることは今始まりたることに非ず。しかるを時代の弊風を扇揚する者の曰く、苦行を積むも仏道において利益する所なしと、或は曰く我等が機根苦行に堪えずと、或は曰く国土相応の生活をなすべしと、或は曰く世間の機嫌を獲るべしと、或は曰く自力聖道の聖道の難行なりと、或は曰く末法に相応せずと。
会して曰く教主釈尊の十大弟子五百の大阿羅漢等、皆ことごとく頭陀の行者なり。誰の佛弟子か頭陀の誹謗者ならむ。何れの如来か安臥放逸に耽って無上菩提を証得し給える。
経に曰く、「若し頭陀苦行の人有れば、我が法即ち存じ。若し此の人無ければ、我が法即ち存ぜず」と。
まさに知るべし、頭陀苦行を誹謗する者は仏法を断絶せしめんと欲する天魔悪鬼の託宣なり。
近代の日本国とくに維新以来の日本国、上下一同に悪鬼その身に入って頭陀苦行を誹謗せしめたるものなり。人天正当の見解には非ず。
頭陀苦行を誹謗するを聞いて、たまたまこれをもって我が意にかなえりと思いて頭陀苦行を廃して衣食住ともに世間の毒風に靡きしよりこのかた、日本国に仏法頓に衰え国土たちまち修羅道となりぬ。
もし仏法の中に頭陀苦行を甘んじて如法に勤修精進する者あれば、長く末法万年に及んで仏法流布し、広く一閻浮提に及んで仏法流布すべし。

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