お盆の文化

お盆の文化
お盆を尊ぶ人は、必ずまず亡くなった御両親を手近に祀りましょう。我々は、亡くなられた人が家に来たとも、来ないとも判りません。ごちらかといえば、見たことがないから来ないのかも知れません。
それをあたかも来たようにしまして、我が心の内で先祖の御供養をいたします。これがために子供にも現実の我々が親に尽くす心掛けを、毎年改めて仕直させる事になります。たとえ死んだ人が来なくても、こちらの生きておる我々の世界において、亡くなった人を起こして、一緒にお目にかかった気になって喜んで御馳走を作る。これは良い習慣であります。これが東洋の家族制度を堅く作り上げた原因のようであります。
西洋は個人主義になっておって、死んでしまうともうお終いになります。そこにやがて東洋と西洋との、人情の差別が出来てきます。残酷酷薄なことをするのが西洋の文明の姿であります。東洋の文明は平和の世界を作ることであります。盂蘭盆のようなことをします。
見えないけれども、見えるが如く考えても悪い事はありません。若し我々が「見えないから」と言って「現実の世界と余り交渉がないから」と言って「無い」決めてかかると、どうなるか? それは同時に我が身もまた、死んでから先がなくなります。死んでから先がなくなると考えると、この世の中で気ままに悪いことをすることが怖くなくなります。
涅槃経に「若し後世を思はざれば、悪として作さざる事無し」とあります。悪いことをする人が、死んでからその悪いことが報われて来ると考えたら、悪いことがしにくく成ります。死んでから先がないと「なんぼ悪いことをしても、し得だ」となるから、もうどんな悪い心でも起こります。


お盆 お墓参り

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