刀兵劫抄(第3次世界大戦) その2

刀兵劫抄(第3次世界大戦) その2
「冥きより冥きに迷う人心、遥かに照らせ山の端の月」
人間は現実において、暴力戦争の行わるる世界においては、完全に平和の光明を見失うたけれども、それにもかかわらず、平和の光明を求むる心は、どうしても捨てきれない。
平和を求むる心は、清水が大地から湧いて出づるがごとく、混混として昼夜を捨てない。冥きより冥きに迷う人心には、思想・希望の彼岸に高く、平和の光明を仰ぐよりほかに、詮方はない。
貪欲、瞋恚・猜疑の煩悩の重なる山の端の月の光明は、はたして今宵、文明絶滅の恐怖に戦慄する地上に、光明を照らし出すであろうか。
解答を与うるものは、人類、現在の文明においては、宗教よりほかにはない。なかんずく仏教は、この解答を与えんがために説かれたるものである。
釈迦牟尼世尊の出世の本懐とは、即ちこの解答である。
妙法蓮華経 如来寿量品 第十六に曰く
「衆生劫尽きて、大火に焼所るると見る時も、我がこの土は安穏にして、天人常に充満せり。園林諸の堂閣、種々の宝をもって荘厳し、宝樹花果多くして、衆生の遊楽する所なり。諸天天鼓を撃って、常に諸の伎楽を作し、曼荼羅花を雨らして、佛及び大衆に散ず」
一閻浮提の一切衆生は、不幸にして三千年の昔、天竺の霊鷲山において、教主釈迦牟尼世尊が警告し給いし、一閻浮提に遍満せる大火に焼かるる時が来た。その火は三界の中、天上、地界、水中ともに、大火が一時に起こって、いずれの方に向かっても、出離解脱の門はない。
これを衆生見劫尽(しゅじょうけんこうじん)の時という。
この時にあたって、唯有一門の解脱出離の門が開かれてある。この一門は如来の秘密神通之力であり、高祖日蓮大聖人、末法応現の使命である。三界火宅を出離する門を、唯有一門と限定されてある意味は、民主主義にも、共産主義にも、ソ連にも、米国にも、およそ闘争を合理化し、戦争行動を肯定するところには、出離解脱の門は、絶対にないという意味である。
所詮、この地上の暴力に対するに、暴力をもってしては、冥きより冥きに迷う人心である。
暴力とは正反対は柔和である。原子爆弾とは正反対な諸天撃天鼓の妙音である。略奪でなくして、布施であり、闘争でなくして、忍辱であり、憤激でなくして、柔和である。殺人でなくして、礼拝である。
仏法の六波羅蜜、四無量心(慈・悲・喜・捨)は過去の菩薩行ではない。三界火宅出離の門として、ふたたび地上に開かれねばならぬ。
        ( 昭和二十五年八月)

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