大慈悲方便

【一閻浮提】
日本山の教団は、僧尼の破戒、無戒の科(とが)に由って破壊することは無い。天魔外道の怨嫉に由って破壊することも無い。もしこれを破壊する者がありとすれば、空閑に住して経を読み、禁戒を持って、自ら勝想を生じ、他を下して視て、他の過失を説き、僧と和合せず、歓喜せず、同一水乳のごとくならず、安穏に山中に止住すること能わざる者の出現することである。
栂(とが)の尾の明恵上人、ある時、門下の者不善の僧を衆中より擯出せんと申し出けるを咎められた詞に曰く、何となれども清浄衆の中に居って不善を行う者は、諸天照覧し給えば、己と顕れ、己と退く習いなり、然るを汝、彼の不善を我に談りて彼を擯出せんとするは僧として無慈悲の至りなり。
仏は「実に有ることを自ら見るとも、僧の欠を顕すべからず」と誡しめ給えり、是,大慈悲方便なり、
浅智の能く知る所にあらず、又、「佛弟子の過を説くは、百億の仏身より血を出すにも過ぎたり」
と説かれたり。
又は、一には和合僧の中を云い違うるは五逆罪の其の一なり、四重を犯すに勝れり、汝。既に此の二の罪を犯せり。五逆罪の人の寸時も同住せん事恐れあり」と仰せられた。かくて不善の僧は門下にとどめられ、僧の不善を語りし清浄の僧は五逆罪の人として門下を擯出せられた。

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