是無智比丘

是無智比丘

昭和丗年太戈乙未8月廿五日     日本山妙法寺       日達

聖人知三世事に曰く、「日蓮は法華経の行者也、不軽の跡を紹継するが故に」
訶責謗法滅罪鈔に曰く、
「日蓮と不軽菩薩とは、位の上下はあれども、同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はば、日蓮が仏果疑ふ可きや、彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり、日蓮は持戒第一の良観房に讒訴せられたり」文
日蓮大聖人、親ら法華経の行者と名乗らせ給ふ所以は、過去威音王如来の滅后末法に出現した不軽菩薩が但行礼拝の一行を修して、現身に六根清淨を証得し、最后身に仏果を成就して、今の釈迦牟尼仏となった、彼の不軽菩薩の行化は、折伏の行を行じて、悪口罵詈、刀杖瓦石の難を身に受けた。
日蓮大聖人も亦不軽菩薩の跡を踏んで折伏の行を行じ、三類の強敵を招き起こした、不軽菩薩は威音王仏の遺教、廿四字の要法を唱へ、日蓮大聖人は釈迦牟尼仏の遺教、五字七字の法華経の題目を唱へられた、万善万行諸波羅蜜の修行を收束して、但行礼拝の一行となし、十二部教、八万法蔵を結要して、廿四字と五字七字となし、ともに謗法、闡提、増上慢の悪人を、逆縁に済度し給へるが故である。不軽菩薩の成仏は日蓮大聖人の即身成仏の例証であった。
崇峻天皇事に曰く、
「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候也、不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ、教主釈尊出世の本懐は、人の振舞にて候けるぞ」
釈尊出世の本懐は、幽玄なる哲学の講演でも無く、実証的な科学の研究でも無く、死後の問題たる昇天復活でも無く、往生浄土の法門でも無い、然らば釈尊出世の本懐はいかなるものぞ、則人としていかに活く可きか、其現実振舞を示さんが為である。
それが為には、一には地上に住む人間社会に崇高なる究極の目的を示し、二には地上に住む人間に、安穏なる社会生活を営ましめんが為である。一には崇高なる人生究極の目的を示さんとして、人間一般総ての凡夫人をして、速に仏身を成就せしめんとする悲願を明かし、二には安穏なる社会生活を営ましめんが為に、最簡易に行い得る、但行礼拝の修行を勤め給ふた。
速成就仏身は、如来の悲願であると同時に、凡夫の至極の目的でもある、但行礼拝は、菩薩の自己の修行ではあるけれども、亦礼拝せられし増上慢の人々の胸に焚きし瞋恚の炎を鎮め、手に執りし憍慢の杖を捨てて、始めに礼拝せし不軽菩薩を、後には却て増上慢の人々が礼拝し、不軽菩薩の説法を聞いて心服随順するに至った、かくて憍慢と瞋恚と怨嫉とに閉ざされたる社会相を転じて、安穏なる生活を楽ましむる事を得た、此の過去の例証を挙げて、現代釈迦牟尼仏の滅後末法に於ける、仏法利生の方便を糺明せねばならぬ、抑も不軽菩薩の人を敬ひて但だ一途に礼拝せし所以は如何なるものぞ。
松野殿御返事に曰く、
過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり、法華経を持たば必成仏すべし、彼を軽んじては、仏を軽んずる事になるべしとて、礼拝の行をば立てさせ給ひし也」。法華経を持たざる者をさへ、若持ちやせんずらん仏性ありとて、かくの如く礼拝し給ふ、何に况や持てる在家出家の者をや、此経の四の巻には、若は出家にてもあれ、在家にてもあれ、法華経を持ち説く者を、一言にても毀る事有らば、其罪多き事、釈迦仏を一劫の間、直ちに毀り奉る罪には勝れたりと見えたり、若は実にもあれ、若は不実にもあれとも説かれたり、之を以て之を思ふに、忘れても法華経を持つ物をば、互に毀るべからざる歟、其故は法華経を持つ者は皆仏也、仏を毀りては罪を得る也、か様に心得て唱ふる題目の功徳は、釈尊の功徳と等しかるべし、釈に曰く、「阿鼻の依正は全く極聖の自身に処し、毘盧の身土は凡下の一念を逾えず」と云云
「法華経を持つ者をば、互に毀る可からざるか」の教訓が厳重に守られて、法華経を信ずる一門の間に、安穏な社会生活の模範を示し、此の平和なる法華の一門が、挙て一国の増上慢の四衆を但行礼拝する時に、立正安国の利生が現れる、法華経を持てる者が、互に毀りつゝ浄論しつゝ而も他の法華経を持たざる謗法の四衆を、礼拝し讃嘆することは不可能である、法華経を持つ者をば、互に毀る根源は、「日蓮が弟子等の中に、法門したりげに候人々はあしく候」此あしき人々がなまじ法門知りたりげに、法華経を持つ人々を見て、妄りに見解の優劣を競ひ、他人を軽賤し悪口するに由る、されば法門しりたりげに候人々は、不軽菩薩の礼拝讃嘆の折伏行をば一生涯の中にも学ぶことなく、常に増上慢の四衆の跡を践んで、法華経を持つ者を毀り罵る罪を犯すのである。
不軽菩薩が礼拝せし人々は、皆悉凡愚下賤にして俗悪邪見の人々であり、憍慢にして暴力を行使する人々であつた、是はひとり末法悪世に限らず、何時の時代の人間も、一般にこんな者が則人間あり、凡夫である、然るに是等の人々の心の中にも、本来尊重なる仏性が存在する。
但し仏性は隠れて見えない、現在に見ゆるものは、仏性とは大凡正反対なる現象の煩悩悪業のみが昼夜に現行しておる、此煩悩悪業外に、赫耀たる仏性が潜在することを信じて、彼の増上慢の人々を礼拝したる者が、則不軽菩薩の宗教的信念であつた。
不軽菩薩は礼拝と倶に、口に法華経の要文を唱へて、彼の増上慢の人々の心の中に潜める仏性を呼び現はさんとした、かくて不軽菩薩は愈々怨嫉迫害を加え来る、彼等悪人の仏性を呼び顕はして、彼等を成仏菩提の無上道に入れ、彼等を浄土に遊楽せしむることを得る、其最後の日の到来を固く信じて疑わなかった。
悪には聞かぬふりして忍び、刀杖は避け去りつゝ堪忍してゆけば、後には何の怨みも憎みも残らない、果せる哉此不軽菩薩の礼拝は、彼の増上慢の四衆の仏性を呼び現はし、彼の増上慢の四衆をして、却て此不軽菩薩を礼拝せしめねば止まなかつた、之を自他不二の礼拝と云ふ。
此礼拝と彼の礼拝と、此讃嘆と彼の讃嘆と、此尊敬と彼の尊敬とが行はれて、昨日迄憎みつる地獄の怨敵が、今日は浄土の善友となつた。浄土の天人、浄土の園林、元来彼の凡愚下賤の人々の、一心の転変から現はれ得可き、本来具足の功徳である、是を以て「毘楼の身士は凡下の一念を超えず」と釈せられた。
法華経修行の肝心は、不軽菩薩の但行礼拝の一行である、彼の礼拝の対境は、絵像でも無く、木像でも無く、諸仏諸天の尊像でもない、仏殿でも無く、文字でも無い、正しく悪世末法、闘諍言訟を事とする、三毒強盛の悪人増上慢の四衆であつた、是等の人々を質直意柔軟ならしめ、互に礼拝讃嘆せしめざる限り、人間生活は到底安穏平和ではあり得無い。
不軽菩薩一期の菩薩行は、殿堂をも作らず、仏像をも立てず、経文をも読まず、深義をも説かず、布施をも勧めず、戒行をも持たず、福祉事業をもせず、道に溢れる増上慢の四衆を見るや否や、其所へかけつけて、但だ礼拝讃嘆の一行を行じた、礼拝讃嘆の一行こそ、よく闘諍言訟の大火炎を鎮め、増上慢の暴力を挫く、礼拝讃嘆は親友の間にも行はれ、怨敵の間にも行はれ、家庭の中にも行はれる、広い世界に住む、いかなる人間社会にも、礼拝讃嘆の行はれざる処は無い、礼拝讃嘆は法華経修行の肝心にして、又天下泰平の秘術である。
身に礼拝を行へば、口には讃嘆の言葉が出る、凡そ他人に対して身に礼拝を行じ、口に讃嘆し乍ら心に軽慢することは出来ない、心に恭敬尊重の念が起ればこそ、身に礼拝が行はれ、口に讃嘆の言葉が出る、悪世末法に増上慢の男女に斉しく恭敬尊重す本有の尊形が存在することを信じ、之を礼拝讃嘆すべき事を教えたものが不軽品である。
所有る道徳哲学も、おしなべて善悪を差別する処には悪人礼拝の教えは無い、それは独り法華経の特色であり、善悪不二の妙法の修行であり、菩薩行の功徳である、されば古人も「心に不軽の解を懐き、口に不軽の言を作し、身に不軽の礼拝を作せ」と謂った、所詮法華経修行の肝心は、此悪業煩悩の充満せる人間を即身成仏せしめ、此娑婆世界を直ちに浄土化することである。
妙法蓮華経常不軽菩薩品に曰く、
是の比丘、凡そ見る所有る、若は比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を、皆悉礼拝讃嘆して、是の言を作さく、(我深く汝等を敬ふ、敢て憍慢せず、所以者何、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏する事を得べし)、而も是の比丘、専ら経典を読誦せず、但だ礼拝を行ず、乃至遠く四衆を見ても、亦復ことさらに往て礼拝讃嘆して是の言を作さく、(我敢て汝等を軽しめず、汝等皆当に作仏すべきが故に)と。
四衆の中に瞋恚を生じ、心不浄なる者有り、悪口罵詈して言はく、「是の無智比丘、何れの所より来て、自ら我汝等を軽しめずと言て、我等が為に当に作仏することを得可しと授記するや、我等是の如き虚妄の授記を用ひず」と已上
此経文を見るに、身の礼拝と、口の讃嘆とは同時の修行である、而もそれは当得作仏の仏性を尊敬して、心からなる礼拝である、之に反して増上慢の心不浄なる者は、他人の仏性の尊敬すべきを知らないから他人を礼拝し讃嘆することは出来ない。
他人は皆堕地獄の罪人なるが如くに思ふて軽しめ罵る、結局我身に具足せる仏性さえも信ぜられなくなつて、折角の大乗至極の妙理たる我身の当得作仏の授記さえも是を虚妄の授記として、何の必要もないものかの如く僻案し放言する無宗教の暴論と何等の変りもない、こんな比丘、比丘尼宗教者仏教者が充満するのが則ち末法の姿である。
今の代に一切衆生皆当作仏の授記、悪人礼拝の秘密神呪は則ち南無妙法蓮華経の七字である、口に南無妙法蓮華経と唱ふる者は増上慢の四衆を見付けたならば殊更に往て礼拝せねばならぬ、殊更に往て礼拝し殊更に往て南無妙法蓮華経と唱へて聞かせしむることが不軽菩薩の跡を践む現代の折伏である。是の如き日本山の折伏は教理の勝負では無い、増上慢の四衆の元品の無明の折伏である
不軽菩薩は一切衆生、就中増上慢の四衆を皆悉当得作仏と授記し礼拝した、増上慢の四衆は真実の法華経の行者を見て、是無智比丘と罵りて軽賤した、今の代何ぞよく是に相似たる。
御義口伝に(日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱ふる者は増上慢の四衆に是無智比丘と悪口せらるべき也)と仰せられた、是無智比丘と罵らるゝ者こそまことの日蓮大聖人の弟子檀那であり、彼の法門しりたりげに我が法華経の中に於て闘諍言訟する者はすべて増上慢の輩である。
経文には特に「而も是比丘、専ら経典を読誦せず」と説かれてある、僧の身として、其教祖如来金口の経典を専ら読誦せないと特色付けたのは如何なる所以ぞ、勿論此比丘は戒行、忍辱等の諸波羅蜜を問題とはしていない、されば正しく破戒僧、無戒僧にして且又無智の比丘である、彼の増上慢の四衆等が是無智比丘と軽賤するのは当然である、而も是無智比丘が末法衆生を利益する僧宝である。
如来の経典をさえ読誦せない無智の比丘が経典を解説することは不可能である。経典を読誦せず解説せざる者がいかでか他人と法門を論議し他宗と諍論する事が出来やう、諍論はせないが礼拝し讃嘆し尊敬する、それが末法の仏法のあるべき姿である。
法華経如来神力品に曰く
「我滅度の后に於て 応に斯の経を受持すべし 是人仏道に於て 決定して疑ひあること無し」
「此文こそよにゝゝ頼母しく候へ」と身延山御書に仰せられた、但行礼拝而讃嘆の外の折伏は総て戯論に堕して外道の諍論と化する。
妙蜜上人御消息に曰く
「然るに日蓮は何れの宗の元祖にも非ず、又末葉にもあらず、持戒破戒にも欠けて無戒の僧、有智無智にも外れたる牛羊の如くなる者也、何にしてか申そめけむ、上行菩薩の出現して弘めさせ給ふべき妙法蓮華経の五字を先立てね言のように心にもあらず南無妙法蓮華経と申し初めて候ひし程に唱ふる也、所詮よき事にや候らむ、又悪しき事にや侍るらん、我もしらず人もわきまへ難きか、」
四信五品鈔に曰く
「直ちに専ら此経を持つ」とは一経に亘るに非ず、専ら題目を持つて余文を雑へず尚一経の読誦を許さず何に况んや五度をや事を廃して理を存すとは戒等の事を捨てゝ専ら題目の理を持つ云々」
ただ専ら題目を持つ者は尚法華経一部を読誦することさへも抑止されてある広学多聞などは以ての外の沙汰である、経典の解説論議等を省略すべきは自ら明である。
但し法華経を開て拝見し奉るに此経をば等覚の菩薩、文殊、弥勒、観音、普賢等迄も軽く一句一偈をも持つ人無し、唯仏与仏と説き給へり、乃至何に况や末代凡夫我等衆生は一字二字なりとも、自身には持ち難し、諸宗の元祖等、法華経を読み奉れば各々其弟子等は我師は法華経の心を得給へりと思へり、乃至此等の人々は各々法華経を読めりと思へども未だ一句一偈もよめる人にはあらず、詮を以て論ずれば伝教大師ことわって云く、(法華経を讃むと雖も還て法華経の心を死す)と云々。
高祖日蓮大聖人は親ら尊無過上の御題目がどうして底下薄地の我身に唱へらるゝか。わけがわからぬ、初めは何のはずみか寝言のやうに我心にもなく口に出づるまゝに南無妙法蓮華経と唱へた、唱へ初めてから次々と唱へ続けてゆくばかりである、南無妙法蓮華経と唱へては居るものゝ其心をしらぬ故に、世間の人がそれはわるい事だと云へば悪い事であるかもしれぬ、又それは貴い事だと聞けば或はよい事であるこもしれぬ、世間の非難も強ちにあてにはならず、我身の愚案もたよりにはならぬそんな中に於て南無妙法蓮華経の御題目が堅固に我身に持たれるのはさても不思議な因縁である。
観心本尊鈔に曰く
「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起し、妙法五字の内に此珠を裏みて末代幼稚の頸に繋さしむ」
法華経の授記品に繋珠の譬がある、酔い臥せる人は何も知らざる間に、其親友は無価の宝珠を其衣の裏に繋けて去た、酔い臥せし人は自ら識らぬまゝに、いつも宝珠は其身から離れない、是が親友の愛情である、如来の大慈悲、南無妙法蓮華経が、いつも我等が口に唱へらるゝことは、是全く如来大慈悲の方便である、我ら末代幼稚の者には、一字二字なりとも、自身の力にては持ち難い、一遍の御題目も是皆如来の大慈悲に催さるればこそ、唱へ奉ることが出来るのである。
「智者学匠の身となつて、地獄に堕つる者」 「我弟子等の中に、法門しりたりげに候人々」は、各々法華経を読めりと思へども、未だ一句一偈もよめる人にはあらず、詮を以て論ずれば、伝教大師ことわりて曰く、「法華経を讃むと雖、還て法華経の心を死す」人達である、是等の人々は一往法華経を讃むるに似たれども、未だ曾て質直意柔軟の謙下なく、増上慢に住し、瞋恚を生じ、悪口を事とし、心不浄にして、他の題目を唱ふる者を見て、ことさらに往て悪口罵詈するが故に、還て法華の心を死す所以となる、
言辞柔軟悦可衆心の説法し非して、徒に諸法を諍競すること、学仏法の外道である、而も我法の中に於て、妄りに闘諍言訟して、白法隠没しむる者、自ら私に是を以て折伏の行と称する、当に笑止の沙汰である。
如説修行鈔に曰く
末法の初めの五百年は、純円一実の法華経のみ広宣流布の時也、此時は闘諍堅固白法隠没の時と定めて、権実雑乱の砌也、敵有る時は刀杖弓箭を持つ可し、敵無き時は弓箭兵杖何かせん、今の時は権教が実教の敵と成る也、一実流布の時は、権教有て敵と成て紛らしくば、実教より之を責む可し、是を摂折二門の中には、法華経の折伏と申也、天台云わく、法華折伏破権門理と、まことに故有る哉」
日蓮大聖人の折伏逆化は、基本は不軽菩薩の折伏逆化に則られたものである、不軽菩薩の折伏に就て、
唱法華題目鈔に曰く、
「方便品には機をかんがみて此教を説くべしと見え、不軽品には謗ずとも唯強て之を説く可しと見え侍り、一経の前後水火の如し、然るを天台大師会して曰く、(本已に善有り、釈迦は小を以て而も之を将護し、本未だ善非らず、不軽は大を以て而も之を強毒す)」文
文の心は本善根有て今生の内に得解すべき者の為には、直ちに法華経を説く可し、然るに其中に猶聞て謗ず可き機有らば、暫く権経をもてこしらへて、強て法華経を説く可し、本大の善根も無く、今も法華経を信ず可からず、何となくとも悪道におちぬ可き故に、但だ押して法華経を説て之を謗ぜしめて、逆縁となせと会する文也、此の釈の如きは、末代には善無き者は多く、善有る者は少し、故に悪道におちん事疑無し、同くは法華経を説き聞かせて、毒鼓の縁となす可き歟、然れば法花経を説て謗縁を結ぶ時節なる事諍ひ無き者をや」已上。
熟ら不軽菩薩の行化を見れば、未だ曾て増上慢の四衆に対して、諍論を引起された事は無い、身には但行礼拝し、口には要文を唱へられたのみである。謗法の四衆を見る毎に逢う毎に、いつもいつも「汝等皆応に作仏することを得可し」と大音声に繰返されたのである。
不軽菩薩に出逢ふた人は、不軽菩薩の唱ふる要法二十四字には、ほとゝゝ聞き飽きて、耳に「タコ」が出来たであろう、「我 汝等を軽しめず」の要文が、彼等日常他人に対して折伏の如く僻解して「汝等は放逸の人懈怠の者、謗法の者、必無間大城におつ可し」等と云ふ処と正反対になつたので、余程癪にさわったと見えて、此礼拝する菩薩比丘のあだ名を不軽と名付けた、我等が法華経修行の肝要も、南無妙法蓮華経と唱へて、衆生法を妙ならしめて之を礼拝し、毒鼓を撃て、増上慢心を弾訶するが故に、彼の増上慢の四衆は、或は「法花」とか、或は「太鼓」とか、我等をあだ名するであろう。
我等は勿論法門の勝負を競論するが如き、無用な学匠沙汰をする暇は無い、問答諍論をせないが故に、増上慢の四衆等には「是無智比丘」とも見えるであろう、「是無智比丘」と罵らるゝでもあろうことは、経文のおもて御義口伝の鏡にかけて違ふ所は無い。
「是無智比丘」と他人に罵らるゝことは、増上慢の罪業にして「是無智比丘」と罵らるゝことは日蓮大聖人の弟子の資格である、罵らるゝことは法華経の行者の恥では無い、罵る者こそ法華経の心を死す恥辱の者である。
天台大師は不軽菩薩の折伏を批判して、「而も之を強毒す」と云われた、増上慢の人の為には、不軽菩薩の撃つ毒鼓の音二十四字の要法と、礼拝とは、宛も毒薬を飲まされるやうに聞苦しく、又見るにたえ兼ねて瞋り狂ふた。同じ文句を繰返すのに、益々大音声をおこすに於ては愈たまらない、堪へきれなくて彼等は怫然として刀杖瓦石を採て不軽菩薩を打擲した、不軽菩薩は彼の暴力から非難逃走して、身の危険をさけた、一応危険は避けたものゝ、又復増上慢の四衆に対して、但行礼拝而讃嘆言した、不軽菩薩は彼等が毒薬の如く嫌ひいやがることをよく知りつゝも、此毒薬を盛れる杯を無理矢理に彼等にすゝめた、不軽菩薩の折伏斯の如く、日蓮大聖人の折伏も亦此の如くである。
法華初心成仏鈔に曰く、
「其故は釈迦仏、昔不軽菩薩と云はれて、法華経を弘め給ひしには、男女尼法師が、おしなべて用ひざりき、或は罵られ毀られ、或は打たれ追はれ一種ならず、或は怨まれ嫉まれ給ひしかども、少しも懲りもなくして、強て法華経を説き給ひし故に、今の釈迦仏となり給ひし也、乃至まして末法に甲斐なき僧の、法華経を弘めんには、かゝる難有るべしと、経文に正しく見えたり、されば人是を用ひず、機に叶はずと云へども、強て法華経の五字の題名を聞かす可き也、是ならでは仏になる道は無きか故也」已上。
日蓮大聖人も「人是を用ひず、機に叶はずと云へども、強て法華経の五字の題名を聞かすべき也、是ならでは仏になる道は無きか故也」と仰せられし如く、末法の折伏、而強毒之の行化は、強て法華経の五字の題名を唱へて一切衆生に聞かしむると云ふ但此一事である。
是五字を聞かしむるより外に仏になる可き道は無きか故である、彼の増上慢の一類の者等の好む諍論勝負の如きは、成仏の道では無い、それは唯法門しりたりげに、己が造詣機智を誇らんとする、学仏道の遊戯にしか過ぎない、我等は一途に成仏の道を辿つて、法華経の五字の題目を唱へて、増上慢の四衆に聞かしむるより外に、何の使命も持たない、是こそ是無智比丘」とあだ名せらるゝ者のゝ真の法華折伏の逆化である。
法門を諍論して論じ勝ちたりとて成仏の道とは仰せられず、論じ負けたりとて、地獄に堕つべしとは仰せられない、総て諍論勝負は、勝負ともに白法隠没の悪因縁たるに過ぎない、智者学匠の身となりて、地獄におつる所以は、大旨法門を諍論して、勝負に狂乱するが故である、諍論勝負は仏法学者の競技、精神的賭博である「是無智比丘」には、そんな芸当もなければ、そんな興味もない、闘諍心理は、我等には持合せない、
如説修行鈔に曰く、
「されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば、誰か経文の如く行し給ひしぞ、誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法也と、声も惜まずよばはり給て、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ、三類の強敵来らん事疑無し」文
諸経諸宗が一乗法華の敵となつたのは、七百年前の昔の夢である、当世一乗の強敵となつて、広宣流布を阻んでおるものは、そんなものではない、諸教諸宗の折伏に由て、諸教諸宗か衰微するかもしれない、其衰微を欣ぶ者は、法華宗の人よりは、寧ろ無宗教者、唯物論者、共産主義者であろう。
諸宗無得道をいかに叫んでも、其折伏に何等の痛痒を感ぜず、却て拍手して共鳴する者がある、共産主義者、唯物論者、無宗教者、耶蘇教者等である、当世自ら折伏を行ずと云者は、諸教無得道と云ふよりも一層狭範囲になつて、同じ法華宗門内の諍論に明けくれ、此処に押寄せ彼処に押寄せ、正しく法華経を持つ物をば、互に毀るのみでである。
その折伏は共産党や唯物論者が嘲笑するのみならず権教権門の輩も、また拍手するであろう。その結果はいたづらに法華宗門の白法隠没となるのみ。彼等は恐らく法華宗門人已外の者と諍論することさへ無くて済むであろう。
それでは天下万民一同に、南無妙法蓮華経を唱ふることはさておき、南無妙法蓮華経を聞かしむる事すら不可能であらう。諸教無得道、法華独一の成仏の云ふことも、所詮は我が撃鼓宣令の説明である、もし南無妙法蓮華経と唱へず、毒鼓を撃たなかつたならば、いか程諸教無得道、法華独一の成仏を叫んで折伏しても、宛も花咲て果無く雷鳴て雨降らざるが如く、何の要にも立たない。
もし当世三類の強敵を招き起さんとするには、正真に方便を捨て、唯南無妙法蓮華経と声も惜まず唱へ奉り、大法の鼓を撃て、立正安国、娑婆即寂光、即身成仏の大運動を起すことである、大運動と云ても、大勢を組織立てする謂では無い、一人堅固の大信念を以て、街頭に出でゝ、増上慢の四衆を礼拝讃嘆し、恭敬尊重することである、諸天善神の照覧する所、天人竜神の恭敬する所となれば、是が即大運動である。
日本山一門が、俗衆増上慢、天子魔軍の特高警察や、軍部乃至現在の政府人の、反対弾圧、世界仏教徒大会、日本仏教連盟等々の、同門増上慢、潜聖増上慢の人々の、悪口罵詈を忍ぶ所、是れ正しく三類の強敵を招き起せるものに非ずや、不軽菩薩の折伏逆化の要法は二十四字、日蓮大聖人の折伏逆化の要法は五字七字、日本山の折伏逆化の要法は、日蓮大聖人の要法、五字七字の南無妙法蓮華経の要法である、但行礼拝而讃嘆言である、一切衆生を南無妙法蓮華経と礼拝讃嘆し奉る、娑婆国土世間を南無妙法蓮華経と礼拝讃嘆し奉る、
妙法蓮華経如来寿量品に曰く、
「衆生劫尽きて 大火に焼かるゝと見る時も 我が此土は安穏にして 天人充満す」
是れ無智比丘の誓願である。

南無妙法蓮華経

昭和三十年太才乙未七月二十五日    於   那 須 道 場 認 之

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