人類救済の宗教

人類救済の宗教

私も始めは宗教と云うものは、人々の心の中の問題だから、政治や、そうした集団的な問題に関わり無く、その人その人の心を教えて行けば善いものの様に考えておりました。

ところが今日、問題が、国家と云う一つの大きな組織に関わって来る。又更に大きくなって世界と云うものに関わって来ました。世界の問題が変わらない限り、個人の修養などを考えて見ても、成り立つものでない。

誰が、国家の行き方の誤りを正す事が出来るか。宗教が個人の心を直すと同時に、国家の行き方を直し、世界の行き方を直して行く働きをする様に、世界の状勢が変わって来ました。

今、個人の心を安心させるの、改めるのと云って見えも、世界が濁って、大きい波に包み込まれた時に、個人は正しく有り得ない。個人は正し生活は、国家の正し生活の中に有り、世界の正し生活の中に在る。世界の人が皆これを求めて、みなが認めて来た時に、世界平和を作るのが、宗教と云うものになるんです。

日蓮大聖人様は、西方に浄土が有るの、或いは天国に復活するの、と云う個人的な教えから離れて、立正安国と申しまして、国家を安穏にする、其の為に正しい宗教を提唱する、と云う立場から、世界人類救済の宗教を押し出されたのであります。

(昭和五十七年九月十三日 ウィーン市にて)

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