【伊東の思い出】 昭和四十五年五月十二日 佛現寺
私はこの伊東と申します所は、御祖師様の四ヵ度の大難の御霊場としまして、非常に親しみを持って長い間伊東に行ったり来たりしたものであります。学門を大崎で勉強する間も夏休み、冬休みは伊東に参っておりました。そしてこの伊東は私の出世には学門と共に信仰を育てて頂いた影響があります。従って、
いつもその休みの旅行は鎌倉でなくて縁があれば伊東へお参りしておりました。
就中、この御草庵については思い出があります。私は海外伝道に三十三歳にして発ちました。其の後、大正十二年九月一日の東京を中心とした大震災にあいまして、日本国の前途を立正安国論にてらしまして非常に危険だ、と思いました。先ず海外伝道よりも日本国の立正安国の御祈念をせねばならん。と思って日本国に帰りました。そして身延山、七面山へ籠もりまして暫く誓願を定めて日本国のお祈念に精進する事に致しました。その御祈念の時、丁度今頃、伊東の佛現寺にお参り致しました。母を伴い、御弟子の何名かを連れてお参り致しまして、この御草庵に一夜、母もお弟子も五,六名御通夜をした事を覚えております。そんな日本国の御祈念に出発する初めに当たって、この御草庵に私等は一夜御通夜した事があります。
それのみならず、昔の系図というものが私の家に伝わっております。最近になってこれを検討致しますと、ここの領主伊東資高公のくだりに僧日蓮が災難に遭った、と云うことが系図に記してあります。私の遠き祖先はこちらにあります。こんな色々な因縁にひかれまして、私には伊東の霊地が何処よりも懐かしく思われます。