仏教徒の戦争責任

仏教徒の戦争責任

世界平和と仏教徒の戦争責任 その5

世界平和と仏教徒の戦争責任 (日本山への誤解を正す)大法輪 その5 「戦争責任を棚上げにしたまま教団仏教が語って来たのは「世界平和」でした。」 世界平和を語ることは、好いことである。世界平和は誰が語ってもよい。世界平和を語る資格のな...
仏教徒の戦争責任

世界平和と仏教徒の戦争責任 その4

世界平和と仏教徒の戦争責任 (日本山への誤解を正す)大法輪 その4 次に「まさか坊さん方は虐殺に加担はしなかったでしょうが、虐殺の跡始末を行ったのはこの僧団であった」と記してある。勇敢と虐殺、虐殺と跡始末、いかにも一連の連想が成り立つ...
仏教徒の戦争責任

世界平和と仏教徒の戦争責任 その3

世界平和と仏教徒の戦争責任 (日本山への誤解を正す)大法輪 その3 次に「南京大虐殺は日本軍の蛮行であったとして、世界から糾弾されていますが、その南京城の一番乗りをしたのは、兵士ではなくて、日連系の僧侶であったのです。その勇敢な僧侶を...
仏教徒の戦争責任

世界平和と仏教徒の戦争責任 その2

世界平和と仏教徒の戦争責任 (日本山への誤解を正す)大法輪 その2 次に「調子いいことは、人に先んじて口にしてみる。あるいは迎合してみる。そして具合の悪いことは口をぬぐって黙否する。」云々と言われた。なる程それでは無規定的、無原則的で...
仏教徒の戦争責任

世界平和と仏教徒の戦争責任

世界平和と仏教徒の戦争責任 (日本山への誤解を正す)大法輪 その1 当世流行の言葉に「世界平和」と言う言葉がある。日本山もそれに習って「世界平和」を語ってきた。然るに最近、『宗教の可能性』(現代人の宗教10)と題する本の寄贈を受けた。...
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