宗教道徳
一切衆生の心の中には、アメリカの人も含めて、殺人と破壊とを否定するのみならず、反対に他の全ての生命を守らん事を願う心の活動が有ります。この人の心の活動を、或いは慈悲と云い、或いは博愛とも云い、或いは非暴力と云い、或いは正義と云い、或いは仏性と云います。此の人の心の活動を導く為に、一筋の軌条を引いて、此れに依らしめようとしたものが、いわゆる不殺生戎で有ります。他人を疑う心、他人を恐れる心、他人を侮る心、他人を憎む心を翻して、他人を信じ、他人に親しみ、他人を敬い、他人を救ける心のい転ずる道を教えたものが、すなわち宗教道徳であります。
正しき宗教道徳を掲げて、我が心の悪しき心を、善き心に変える為に努力する事が、現代の課題でありましょう。不殺生戎を始めとして人間の生きて行くべき道を教えたものが、宗教であり道徳であります。宗教道徳を無視した時代、即ち暴力万能の時代は、人類絶滅の悲劇を演じます。人間世界が、種々な困難な条件に耐えて、兎にも角にも今日迄生存し繁栄することが出来た所以は、一重に宗教道徳の権威を発展させ実行せし功徳であります。
アジアに人口が過密なる現象も、アジアに宗教道徳が発生し繁昌せし証拠であります。もし人間の社会生活の中に、誤って今日の如く暴力・殺人の法則を採用したならば、核兵器の出現を待たずして、人類は遠い昔に全滅せねばならなかったでしょう。宗教道徳は、常に暴力を否定します。暴力に勝ちます。此の非暴力が暴力に勝てた社会が即ち人間社会であります。
昭和五十一年七月二十五日 富士仏舎利塔