南無妙法蓮華経は如来秘密神通力

問:法華経二十八品を読んでも南無妙法蓮華経は一語もないのですが、日蓮大聖人様が比叡山で勉強されて、清澄で南無妙法蓮華経と唱えられたのは、如来神力の力でしょうか、霊感なのでしょうか。
御師匠様:自らお認めなさった、妙密上人御消息という御書がある、『然るに日蓮は、何れの宗の元祖にもあらず、又、末葉にもあらず、持戒、破戒にも闕けて、無戒の僧、有智、無智にもはずれたる、牛羊の如くなる者也、何にしてか申し初めけん、上行菩薩の出現して、広めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を先立て、ねごとの様に、心にもあらず、南無妙法蓮華経と申し始めて候ひし程に、唱ふる也、所詮よき事にや候らん、又、悪しき事にや侍るらん、我も知らず、人もわきまえがたきか。』判教や解釈の結果御題目に到達されたのではない。ねごとの様に自分で唱えだした、どうした事か解らん、
問:如来神通力ですね。
御師匠様・・そうです、精神界の仕事は、不思議です、『如来の秘密』御祖師様が自らこう仰るのです、噓事は仰っていない、『いかにして申し初めけん、ねごとの様に南無妙法蓮華経と申し初めし程に唱うる。』・・・・・・・・只不思議として唱えておる、此の事が夢の様な事、自分の心にもあらず、何かうかうかとした夢見た様な気分で唱えておる、とおっしゃる、我々は知者学匠振ってはいけない、何も知らぬ、牛か馬、御祖師様がそうおっしゃる、何も知らない、その自己を忘れない様にしないと憍慢になって終う。
昭和56年6月17日

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