ヨーロッパ開教
ヨーロッパ開教もようやく糸口がつきました。この開教もお金を出して土地を買い、そこにお金を出して宝塔を建てる、そのような仕事では役に立ちません。宝塔は建ちましょう、土地は出来ましょうけれども、ヨーロッパの人を教化しない限り何の役にも立たない。日本に宝塔を建てたのと同じ事であります。
ヨーロッパの人を教化することが出来なかった為にここの開教もだいぶ足踏みをしました。けれども時がまいり、開教の糸口としてお仏舎利塔が建つようになりました。
お仏舎利塔は日本山の建てるものでありますけれども、これは一つの建築ではなくて、ヨーロッパの人々への教化の本尊であります。
人々が皆そのもとに集まり礼拝し供養し賛嘆せばならない。ヨーロッパの国々はキリスト教であります。それはキリスト教国の人々が仏教の宝塔建立を喜んでいる。
最初に発願しました英国のトム・ハンコックという人もこの宝塔建立の発願がいかに大きい良い仕事であったか、今は解りました。
ミルトンキーンズが出来ら、英国各地に宝塔を建立するお言っているそうです。ヨーロッパの人々を教化する。それができなければ布教にならない。
西天開教も宝塔を建てて、そこで渡世ができ麻薬があ吸えるというのでは駄目。インドの人々が集まって礼拝し讃嘆するものでなければならない。
多宝山には日本から送ったチェアリフトがかかっており、乗りたい人が大勢で間に合いません。
乗らない人は山道を分けて登っていく。山道を登ることの出来ない人々は麓から宝塔を拝んで帰っていく。それほど大勢の人々が宝塔参拝にきております。この人数がどれほどかというと、リフトの乗り賃が一ルピー、この金の集まりがビハール州政府の財政の上に大きく役に立っております。それほど精神的な力が物質的に現れていく。
また、インドの人々の中に日本山の行き方を信ずる者ができ、ご出家となりました。信者となりました。
階級の上下を問わず、こういう人々が出てきました。しかし信心は続けていきました。そのため最近では政治家たちも現代の
インドの為に、日本山の思想・信仰がどんなに役に立つか、ようやくわかってまいりました。
「開教」というのは、寺を建てることとか、別荘を買収することではない。現地の人の信仰を呼び起こすこと。これなくしては開教は立ち消えであります。
この度、ウリーランカのJ・Rジャヤワルダナ大統領が来日して政府関係者と援助や借款というような話もしたでしょうが、大統領は仏教国としての日本とスリーランカとを親しく結び付けるという目的をお持ちでした。それが誰に会っても、すぐに口に出てきます。今上天皇とのご会見でも、天皇が初めて仏教の話をされていたとの事です。(1979年9月28日)
英国・ロンドン仏舎利塔
インド・霊鷲山リフト